北京動物園のパンダ

正門に入って少し歩けばパンダ館が見えてきますが、

見物するには別切符を買わなければなりません。

にも関わらず、

館内にはいつも国内外の観光客で溢れかえっています。

室内と室外には数頭のパンダがいますが、

専門の飼育員に面倒を見てもらって

まったく苦労のない生活を送っているので、

大体寝ているか食べているかです。

 

たまに歩き出しても、

寝る場所を変えたり、

食べ物を探したりをするくらいで、

すぐまた止まるのです。

木に登ったり宙返りしたりするパンダをもし目撃できたら、

それは極めてラッキーなことですよ。

いかにも怠け者という感じのパンダですが、

その存在の全てが「可愛い」そのものです。

あなたは北京動物園に行きたいですた?

パンダを見たいですか?

北京動物園

 

北京動物園は

北京市内北西部にある中国最大規模の動物園で、

面積は50万平方メードルです。

国家図書館 にとても近く、歩いては13分ごろ到着できます。

その前身は1906年に開園した「万牲園」で、

各地から清朝に贈られた珍しい動物を集めたものでしたが、

皇族の庭園として一般公開ではありませんでした。


そして長い間管理がおろそかで、

動物の数もわずかになっていたのです。


新中国成立後、

政府の援助のもとで動物園が整備され、

1955年から一般公開されています。

その後も新しい動物館が次々に建てられ、

動物の数もだいぶ増え、

ようやく今日の規模となったのです。

現在、アジア最大規模の動物園として、

北京動物園は600種以上、

7000もの獣類や鳥類を有しています。

多種多様な動物がいる中、

一番注目を集めるのは、やはりパンダです。



 



地球を支配している我々

 

 

進化とは、

環境分析を基として環境の変化に適応した新しい種が次々と誕生することだと言えます。

一方で変化に耐えられなかった種の絶滅の歴史なのです。

すべての種は誕生、繁栄、衰退、絶滅

という同じ道筋をたどると考えられます。

「進化」はもしその環境が大きく変化した時に対応が難しく、

簡単に絶滅してしまうという面も持っているのです。

そう考えると、ネアンデルタール人が絶滅したことも、

自然な流れなのかもしれません。

およそ3万年前、

ネアンデルタール人は絶滅したと言われています。

我々ホモ.サピエンスは

知恵を発達させ、言葉を操り、道具を作り出し、

文明を作りました。

 

そして科学文明の発達した現在、

人類は地球の環境さえ変えてしまうほどの大繁栄をしています。

私たちも「動物」だ

 

もちろんマンモすが生きていた時代に

私たちの直属の祖先である

ホモ.サピエンスも地球にいましたが、

ネアンデルタール人も同じ時期にいたというのです。

そして私の中に疑問が一つ浮かび上がってきました。

絵を見ただけではホモ.サピエンスか

ネアンデルタール人かわからないほど

似通っている二つの人類なのに、

なぜネアンデルタール人だけが絶滅してしまったのでしょうか。

この疑問を持って、図書館に資料を調べます。

ホモ.サピエンスと一体何が違ったのでしょうか。

700万年の間に登場した人類の祖先の数は、

20種類にものぼることが研究によって明らかになっています。

そのうちの「ホモ.サピエンス」を除いて

全て絶滅してしまいました。

我々ホモ.サピエンスは、

地球に存在する唯一の人類として、

今日、地球を支配しています。

文明と動物の絶滅について

 

あなたは動物の絶滅について何か考えを持ちますか?

私たちは近年の科学文明による地球環境の変化に

もっと危機感を持つべきではないでしょうか。

「このままでは人類は滅びてしまう」という研究生の主張を知り、

ほかの人類が滅んでいった理由に興味を持ち始めました。

私たちも「動物」です。

だから滅びるときは

やはり他の動物や人類と同じような理由で

滅んでいくのではないかと考えたからです。

いつだったか、

マンモスを捕まえようと数人の人々が

石槍で指していた絵を見たことがあります。

その人たちのことをずっと私たちの直属の祖先であると思っていました。

しかし、その絵の中の人々が直属の祖先ホモ.サピエンス

ではないかもしれませんと中学校の授業で習いました。

一千の転びのあとは一千零一の立ちだ

「諦めないで」というのは話しやすくてやりにくいです。

人生の境遇は時々刻々変わっているといっても、

どんな厳しい状況困難があっても、

諦めたいできっと困難を乗り越えられます

一時壁に突き当たった時は突破できなくても、

もうちょっと試みって、

勇気を持って前に向かって、

不思議な人生を見つけられます。

とにかく、

その言葉から得るところがきわめて多いです。

ファストフード文化の現代に多くの人は目の前の利益ばかりを重視し、

かえて成功に通じるのは一番重要なことー堅持を忘れます。

古今東西におけて、

仕事に熱心で、広範な知識を持って

人格の魅力は高くて、すごく立派な人たちが

きっと同じ品質があります。

学者でも、経営者でも、栄養士でも、

それは堅持です。

その人たちはどんなことに対して頑張り抜く

何にも対して一所懸命努力して

新しいチャレンジを挑戦して自分の可能性を広げていきます。

あきらめないで、荊棘が切られます。

堅持の品質があって、

一千の転びのあとは一千零一の立ちです。

 

「リンリンリン…」

あ、

目覚まし時計が鳴って、

また新しい日が始まります。

文机の上には先生からもらった招き猫の人形が

いつものように「頑張るよ。あきらめないで」

と話してるように手を振ります。

あ、

希望の光に輝いて元気がいっぱい一日も始まります。

景徳鎮への旅

二年生の時、

先生と一緒に景徳鎮へ一日の旅に行きました。

私は通訳 として、事前いろいろな資料を探しました。

名坊園という陶磁器体験中心で陶磁器の作り方を習って、

自身経験しました。

それは簡単そうに見えるが、

いざ自分でやるとなると、

なかなかうまくいかないものです。

私が手作りにあまり上手なこともあって、

失敗でした。

がっかりして二度をする元気もありません。

先生は一心不乱にやったばかりでした。

初めて作ったので、

先生もできませんでした。

でも、先生は諦めなくて、

もう一度やってみました。

最後成功しました。

いくら歳を重ねようとも、

先生は新しいことにチャレンジして

自分の可能性を広げていきたい。

どんなに苦しいこと、

先生は最後まで諦めたくないです。

その優れた品質はなかなかいないです。

先生はずっと私の見習う手本です。

本当に敬服に堪えませんでした。

先生の姿を見て、

私ももう一度やってみました。